「続・合気道って何ですかD(納めについて)?」
合気道は納めます。治め、または、収め と書いても良いと思います。何を納めるかというと気持ちを納めます。
よく強くなりたいから武道を始めましたということを聞きますが、そもそも武とは矛を納めることを意味するもので、相手を負かすためのものではないのです。だから武の道とは矛を納めることで、収められて、そして治まる。と、こうなるわけです。治まったところには、和が生まれるわけで、よく合気道は和の武道だというのは、このことをいうわけです。
和の想いは強いも弱いもないわけです。強くなるというのは、どう納めるかになるわけです。腕っ節を強くしても、さらに強くしなければならないわけで、永遠にそれは続きます。腕っ節に頼って強くなることを求めれば、それは格闘に変わります。格闘は破壊に繋がります。和の精神とは逆の方向に進むわけですね。
本当の強さというものは気持ちを磨くことにあるわけで、その道を武というわけです。気持ちを磨くとは、納めるわけですね。収めでもよいわけです。そのために、稽古があるわけです。何もしないところに納め(収め)はおこりません。
腕っ節を強くするのではなく、気持ちを強くしていくことが求められるわけです。
気持ちを強くするためには、まず、自己の気持ちを納めるわけです。自己の気持ちに立ち向かわなければならないわけです。これが合気道なわけです。
相手よりも強い弱いではなく、相手に勝った負けたでもなく、只ただ、自己と向き合い、自分の気持ちを納めていくことにあるわけです。自己と向き合うことで、他者との関係も築けるわけです。それには和が必要になるわけです。それを武というわけですね。武は自己も生きるし、他者も生きるわけです。格闘してはならないわけです。大きく言えば、武は格闘も納め(収め)そして、治まるわけです。合気道が武産(たけむす)と呼ばれるのは、そういう意味なのですね。
続編はまた後日、追記していきます。
平成25年3月19日(火)
合気道新発田教室 笹木裕幸
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