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続・合気道って何ですかA?(護身について)



「続・合気道って何ですかA?(護身について)」 
   

 「続・合気道って何ですか@」で「合気道は護身術ではありません」と書きました。
なーんだ。合気道って護身術ではないんだ。という誤解を生むといけないので、少々説明を加えたいと思います。


 確かに「護身」という概念はないので、いわゆる「護身術」ではないわけです。「護身」という概念を超えているということは「護身」にも成りうるということを含んでいるわけです。
何をわけのわからないことを言っているのかとお叱りを受けるかもしれないので、これをもう少し説明すると、「身を護る」概念は相手(自分自身以外の他者)が「攻撃」してきたときにとる概念であるわけで、相手が攻撃してきたときに、こちら側は「身を護る」ことでその攻撃をかわす(避ける)ことができるとこうなると思います。相手の攻撃というもので、こちらは「護身」でもって身を確保することになります。要するに、攻撃というものが「護身」という概念を生み出しているということになるわけです。
 

 合気道は相手が考える「攻撃」というものを「攻撃」にしないわけです。相手は攻撃だと考えている「攻撃」というものを「攻撃」ではなくしてしまうものなのです。分かりやすくいうと「攻撃」という概念を取り払うものなのです。だから、いわゆる「護身」という概念は存在しなくなるのです。「撃って攻めてくる」ところには危険がいっぱいです。だから「身を護る」必要が出てくるわけです。合気道はこの「撃って攻めてくる」ものを鎮める(静める)ものなのです。自分自身が「身を護って」ばかりいれば、相手は「攻撃」の手を緩めません。さらに強い力で攻めてくるでしょう。これは世界史、日本史政治経済、現代社会を通してみればご理解いただけることと思います。

 合気道は「消極的護身」ではなく「積極的働きかけ」です。相手への「働きかけ」で「攻める想い」を静める(鎮める)わけです。鎮めるところに「護身」はないわけです。「身を護る」必要はないのです。「撃って攻めてくる」という考え(気持ち)を「働きかけ」で鎮めるわけです。静めた
(鎮めた)ところには静寂があるわけです。
 静寂なところには穏やかな考えや気持ちが芽生えることになります。


    続編はまた後日、追記していきます。


                                平成24年4月21日(土)                  

                                     合気道新発田教室                             笹木裕幸

 


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